共和制ではダメ?古代ローマはなぜ帝政に移行したのか

2018年3月9日

古代ローマが大好きです。
作家・塩野七生の「ローマ人の物語」は全巻読破してます。

ローマの魅力は質実剛健を旨とする現実主義。
理想や理念より、まず現実を直視する。
必要なら取り入れるです。不要なら捨てる。
しかしローマ人らしさは失わない。

さて、そうしたローマ人達の歴史の中には、
「?」
と思うことが多々あります。
ローマは紀元前753年に建国以来、

王政 → 共和制 → 帝政

と移行していきます。
現代人の私達からすると、

王政 → 共和制

はすぐに受け入れられると思います。
「王様がやりたい放題して、倒されたんだな。それで、みんなで決める共和制になったんだな」

実際、最後の王タルクィニウスは好き放題して倒されました。
その後、2人の執政官と元老院と市民集会の3本柱による共和制に移行します。
フランス革命なんかの流れに近いから、分かりやすいですね。
しかし

共和制 → 帝政

は分かりにくい。

「せっかく、みんなで決めるシステムにしたのに、なんで皇帝に権力を集める体制になったんだ?後退した?」
と思うところでしょう。
しかし、これがなされなければ、ローマは紀元476年まで続かなかったでしょう。

共和制の限界


ローマの共和政は強力なモノでした。
執政官は実際の行政を担います。いまの日本でいう総理大臣でしょうか。
そして執政官は元老院議員から選ばれます。
その執政官は戦争の際、戦場に出て指揮をします。
当然、戦場で倒れる者もいるでしょう。
そうした時、速やかに元老院から執政官が選出され、行政を行います。
だから元老院には執政官候補がいっぱいいるわけですね。

このシステムは、名将ハンニバルとの戦いで効果を発揮しました。
天才ハンニバルの戦略の前に次々と倒れる執政官。
しかし、次々に優秀な執政官を繰り出す元老院。
この粘り腰の果てに、ついにはハンニバルに勝利するのです。

このシステムは領土を拡張する、戦争に戦争を重ねる時代には効果を発揮しました。
しかし、ローマの領土は西はスペイン、東は中東にまで及ぶようになってくると、
イタリア半島のローマで合議をして意思決定するのでは、あまりに時間がかかりすぎるようになったのです。
共和制ローマのシステムはあくまでもイタリア半島を支配していた時のもの。
広大な領土を持つようになった時、すでに機能不全に陥ってしまいました。


ユリウス・カエサルの登場


カエサルはすでに共和制が限界に達していることを理解していた人間でした。
カエサルは内乱の果てに終身独裁官になります。
独裁官は、国家の存亡の危機に際して、執政官2名の指名によって選ばれます。
その権力は、元老院も市民集会も無視することができます。
当然、独裁者を嫌う共和政治ですので、任期は半年と決められています。
終身独裁官とは、任期が終身となった独裁官です。
すなわち、独裁者です。
 
カエサルは強力な権力を駆使し、ローマを一人の指導者が意思決定するシステムに移行しようとしました。
しかし、独裁者を嫌う保守的な元老院議員に暗殺されることになるのです。
これで、帝政への道は絶たれたかのようにみえますが、カエサルは後継者を事前に指名していました。
それがオクタヴィアヌスです。


ローマ皇帝の誕生


オクタヴィアヌスは、カエサル暗殺後の混乱を鎮めます。
その後、元老院にて、
「私の持つ権力と軍事力を、元老院とローマ市民に返します。ローマは共和制がベストです」
と宣言し、拍手喝采を得ます。
オクタヴィアヌスは、気分を良くした元老院に対して、さらに
「何個か称号ください。あ、権力はいらないっす」
とお願いするのです。
調子にのっている元老院から

「アウグストゥス」「カエサル」「インペラトール」「プリンケトス」
の称号をもらうことになります。

ちなみにこの「インペラトール」というラテン語は「エンペラー(皇帝)」の語源になります。
「カエサル」はドイツ語の「シーザー(皇帝)」の語源です。

さらにオクタヴィアヌス(アウグストゥス)は
「広い領土を統治するのは大変でしょう。危険な僻地の統治は私がしますよ。あ、でも危険なところだから、軍事力がないと統治できないわ。全軍事権を貸してください。」
と元老院にお願いしました。
「共和制の守護者の発言だ、悪意はないだろう。てか安全なイタリア半島から出たくない(笑)」
ということで、元老院は「全軍最高司令権」を与えます。

そんでもって、市民集会の代表である護民官の権限である「拒否権」ももらうことになります。
これは元老院と市民集会の決定を白紙にする強力な権限です。

そして気づいたときには、多くの称号と全軍最高司令権と拒否権を持った強大な権力を持つに至るのでした。

あれ!気づいたら「皇帝」と呼ばれる権力者ができあがったぞ!

帝政ローマへの移行から学ぶべきこと


民主主義社会にどっぷりの私達には、帝政は過去の古い政治システムだと思うかもしれません。
しかし民主主義的な合意形成が必要なシステムでは、意思決定が遅いのも事実。
発展途上の国では、優秀な指導者による開発独裁が最も有効と言われます。
必ずしも民主主義が正しい選択肢ではない。
共和制ローマは500年続きました。
500年…とてつもない長さです。
当時ローマにいれば、共和制をやめるなど考えられなかったでしょう。
しかし、内部の制度疲労と外部の環境が変われば、500年続いたシステムとて有効な手段ではなくなります。
そうした時、これまでの常識・思い込みを打破する発想力、変革のための強い意志が必要になるということでしょう。

おまけ:ローマ皇帝はだれが承認するの?


ローマ皇帝といっても、皇帝になる前は普通の人間です。
チベット仏教のダライ・ラマ法王のように、生まれた瞬間から法王になることを定められているわけではありません。
日本国天皇のように神の血を受け継ぐものが、3種の神器を継承して皇位につくわけでもありません。
中世の神聖ローマ皇帝のように、神の代理人であるローマ法王によって冠を戴冠するわけでもありません。
シナの皇帝ように天命を受け、なるものでもありません。
血筋でもない、神器もない、神や天の意思でもない。
じゃーどうやって皇帝になるの?
ローマ帝国では市民と元老院の承認を経て、ローマ皇帝になります。
すなわち、誰でもなれます。
初代皇帝アウグストゥスの血を引いている必要もない。
民族としてのローマ人である必要もない。(後に辺境の属州からも皇帝が現れます)
市民と元老院からの支持さえあればいいのです。
現代人は共和制ローマとか帝政ローマとかローマ帝国とか呼称を時代ごとに変えますが
当時の人々の感覚ではずっと
Senatus Populusque Romanus(SPQR)
( 元老院ならびにローマ市民)
 
という共同体に属している感覚なので、帝政に入ったから違う国になったという感覚はありません。
帝政になっても、元老院は存続していきます。
執政官もあります。てか皇帝が執政官についたりもします。
ローマ皇帝を、テレビに出てくるステレオタイプの独裁者像で捉えると、理解することはできません。
ちなみにローマ人の物語6巻がアウグストゥスの巻です。
ついに共和制が終わるのか!
アウスグストゥスが盛大なパレードの中で
「ここにローマ帝国の建国を宣言する!」
とするに違いない!
と思って、読み進めていました。
気づいたら、読み終わってました。パレードも建国宣言もありませんでした。
でも「皇帝」がいました。
??
どうやら、私もアウグストゥスのマジックにかかってしまった一人のようです。