便利な言葉を使いすぎると、思考が停止するんです

2017年1月24日

「便利な言葉を使いすぎると、使う人が思考停止になる」

これは、私が敬愛する池上彰さんの言葉です。

池上さんの知識量には感服しますが、私が注目するのはその表現の分かりやすさです。

2、3年前に引退宣言をした気がしますが、まだテレビに出演してくれていて、うれしい限りです。

 

難しいことを難しく説明することは簡単。難しいことを簡単に説明することは難しい。


 

これはどこかでみた格言ですが、池上さんを見ていると本当にそう思います。

国際情勢や経済、歴史等の難しい事柄を簡素にして、要点を摘出して解説する。

これは私の目指すところです。

歴史にものすごく詳しい人のセミナーに出たことがあります。

弥生時代から戦後までの土地の所有権の移り変わりを、2時間ぐらいで一気に教えてくれました。

その内容も興味深いものでしたが、なにより驚いたことは専門用語が全くでないこと。

墾田永年私財法や地租改正とか全く出てこない。

でも時系列順に学んでいくと、その法律や出来事の必然性が分かり、すっと頭に入ってくる。

難しいことを簡単に説明してくれて、すごく参考になりました。

理解に専門用語は必要ない。むしろ専門用語を使うことは説明から逃げることです。

 

思考を言葉にすることは難しい


 

喜び、怒り、悲しみ、楽しみの感情を他人に伝えることはすごく難しいことです。

これらの感情はそもそも言語化することはできないからです。

「すごくうれしかった!」

と言われても、どの程度うれしかったのかさっぱりわかりません。

「すごく」も「うれしかった」も主観的な言葉だからです。

表現力があれば、それを他人に伝えることができます。

「生涯において、もうこれほど感動に打ち震えることはもうないだろう」

こう表現すると、すごくうれしいんだなってわかります。

 

表現力は訓練によってでしか得ることはできません。

読書や池上さんの解説を通して、表現方法をインプットします。

そしてそれを他人との会話中にアウトプットする。使い方を覚えます。

すると次からは、すっと口からその言葉を出てきます。

脳が記憶するんでしょうかね。

できるだけ自分から遠い人と話すと、効果的に表現力を磨くことができます。

自分から遠い人ほど、前提となる知識が共有できていないので、その説明が必要になります。

自分にとって当たり前すぎて、言語化していなかったことさえ、説明を求められます。

かなり頭を酷使しますが、それだけ次に生かすことができるでしょう。

 

思考禁止ワード「ヤバい」「かわいい」


 

この「ヤバい」はヤバいです。

なぜかというと、使う人がヤバくなるので、どんどんヤバくなるのです。

本人にしか「ヤバい」の意味が分からないので、周りとの関係がヤバくなります。

だからヤバくなる前になんとかしないとヤバいです。

 

話は変わりますが、昨日インスタで見た猫、すごくかわいいかったです。

動きがすごくかわいくて、きゅっとしたところなんか、かわいいってもんじゃない。

あと、首輪もかわいいかったよね。まるいところ。

それで一緒に写ってた犬の服もすごくかわいいし、犬の小屋もすごくかわいかったです。

部屋の後ろに写ってたテレビもかわいいし、椅子もかわいかった。壁の飾りもかわいかったよね。

写真の撮り方もかわいかったし、少し手が被ってるところなんか、ほんとかわいかった。

 

「ヤバい」「かわいい」は便利で汎用性がある言葉です。

否定にも肯定にも使える危険なワードです。

主観的で、どう使ってもある程度、意味が通ります。

意味は通るけど、意思が伝わっているかどうか分かりません。

相手も理解した気になっているので、是正されることはありません。

本人はしっかりと伝えた気になっているだけに、やっかいです。

いずれ、認識の不一致が露呈して、仲たがいになるかもしれません。

 

自分が「ヤバい」や「かわいい」を口にしないように注意しましょう。

そしてそれに変わる表現方法を身につけましょう。

しっかりアウトプットできないことは、意外と苦しいことです。

どれだけ話しても、相手にまるで伝わらないのだから。

 

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